音更神社御由緒

明治三十三 年、仁禮子爵経営の音幌農場内に小神祠を建立し伊勢神宮は内宮より御分霊を拝受奉安するを創祀とし、音幌神社と称す。
爾来開拓民増加し、翌三十四年音更村成立と共に国の通達を受け音更総鎮守として現在の役場高台に御遷座、音更神社と改称。大正三年重ねて国より総鎮守に指定される。
爾来昭和八年村社列格、昭和二十一年宗教法人となり、開進・北昭和・音幌・共和・福平の神社合祀、氏子地域の統合を経て、平成十一年九月御創祀百年記念大祭斉行さるる。
その間、拝殿改築、社務所新築、改築を経るが、本殿は明治三十三年造営の為老朽著しく、平成十年師走に御創祀百年記念事業の第一期工事として、町民始め十勝、全道全国のご縁のある皆様より御浄財を賜り、内部総檜。外部鉄筋コンクリート、屋根銅版葺きの向拝付神明造(六三・五坪)の荘厳な御社殿が、他に類を見ない樹齢四百五十年を超すハルニレの御神木を有す一万五千坪の境内に御造営されましたことは大神様御嘉賞の御事と拝し、いよいよ北海道一の人口を有す音更町の発展、町民、崇敬者各位の平安を見守りお導き続けていただける御事と拝します。

境内には、日清日露の戦役をはじめ大東亜戦争でお隠れになられた御英霊を顕彰する忠魂碑があり、宮城県は姫宮稲荷神社の御分霊をお祀りする姫宮稲荷神社と弁天様をお祀りする弁財天宮が、平成の御大典記念として以前有った三分の一の大きさで復元された清清しい御神池の辺に御鎮座あそばします。
この音更の杜は別名、千畳敷公園として北海道環境緑地保護地区、十勝名木百選、音更町名木・美林指定を受け、春は桜の名所として、夏は蝉声賑々しく、秋は紅葉が昭和十一年に村内の呉服商の主とお医者さんとのお二人で奉納された御神輿に色を添え、冬は雪上をエゾリスが遊び、ももんがも暮らす豊かな杜で、ときにはフクロウ、キタキツネ、ワシ、カモをも見ることができます。
平成十四年八月、音更町に御鎮座される各神社事務を統括する社務所が町民各位、ご縁のある篤志家の方々により改築されました。